元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

なかなか台湾人になれない ワ タ シ

ひとりぼっち


昨日、上司と昼ご飯を食べていて、「あ〜やっぱ俺って外国人なんだ、、、」って思いました。

 

ある日のワンシーン


昨日の午前中、上司と某プロジェクトの打ち合わせがあって、終わった後に「それじゃあ飯にすっかー」みたいないつもの感じで一緒に昼食を摂りに出かけたわけです。

私の上司は日本マニアで、この日も「カツ丼食おうぜ」とか言いながらいつもの日本料理のお店へ。

店員のおばちゃんたちが「いらっしゃいませー」と日本語で迎えてくれるわけです。

注文の際には、そのおばちゃんたちがものすごい勢いで「サシミ」を勧めてきます。上司に聞いてみたところ、「ここの店、味は悪くないのになぜかいつも客がいないんだよ。経営がヤバいから連中も少しでも単価の高いものを注文してもらおうと必死なんだよ。」とのこと。また後日記事にするかもしれませんが、台北の不動産価格は本当にぶっ飛んだレベルで高いです。だから、台北の中心地で飲食店経営でうまいことやっていくのは本当に至難の技なんじゃないですかね、、、

上司は事前の宣言通り「カツ丼(メニューでの表記は「勝丼」)」を注文。部下の私は当然日本のマナーに則り「それもう一つ」と注文するわけです。価格は180元(約600円)。まあ、特に高くもないけれど、安くもないといった感じでしょうか。

 

「この国の、、、」


カツ丼が運ばれてきました。ごくごく普通に雑談しながら食べるわけです。うん、普通に旨い。もうこっちに何年も住んでいますから、丼物を注文した時に箸の他にスプーンが付いてくるのにも慣れました。ある程度食べたら箸からスプーンにシフトするんです。本当に食べやすい。天丼の専門店なんかでもスプーンは出てきます。本当に便利。

 

taiwanlover.hatenablog.com


食べ終わったら、「んじゃ、そろそろ行くか」となるわけです。この上司はお会計の時になると、いつの間にか千元札を用意していて、私が「先週も奢ってもらったので、今回は自分も払いますよ」なんて言うと「それじゃあ、後でコーヒーでも奢ってくれ」との返事。

職場に戻る途中、上司が「さっきのカツ丼どうだった? まあやっぱり台湾スタイルだよね。日本のとは違うでしょ?」なんて聞いてくるから、私は「特に台湾スタイルだなんて思いませんよ。あれは明らかにカツ丼だし、美味しかったです。それに、自分はこの国の食べ物が大好きなんですよ。小籠包とか最高ですし。」みたいな返事をするわけです。

その時、ふと思ったんですよ。「あっ、、、俺、やっぱり外国人なんだ、、、」って。

 

アイデンティティー


本当に何気ないやり取りでしかないわけだけれど、やっぱり上司は私のことを「外国人」として見ているし、私もやっぱり台湾のことを「外国」だと思っているんですよね、、、

私が言いたいこと、伝わりますか?

私はもう何年も台湾に住んでいます。こっちでローカルフードを食べたところで別に感動も何もありません。日本人がご飯と味噌汁を食べるのと同じで、ごく「当たり前」のことですから。

でも、それでもまだ私は「この国の、、、」という物言いをする。上司も「日本人からしたら、、、」なんていう言い方をする。

「あ〜やっぱり自分は外国人なんだな」って思うわけです。

こういうのがまさに「アイデンティティー」なんだなって、ふと気付きました。

 

本当に大事なこと


今、日本は移民を受け入れるかどうかでそれなりに揉めているじゃないですか。

そういった問題に関心のある人に、この記事を読んで咀嚼してもらえたら嬉しいです。

おそらくこういった経験をしたことがある人って日本国民の0.1%以下とかですよね。

本当に何とも言えない気持ちなんですよ。自分にとっては自然なはずなのにちょっと違う。他人を通して自分は「余所者」だってことを知る。

でも、日本人が日本人であることをマイナスに捉える必要はないし、実質的なデメリットも一切存在しません。

それじゃあ何なんだろこの「違和感」は。

「あ〜、人はこういう時にアイデンティティーというのを認識するのか、、、」と妙に納得してしまったわけです。

大雑把に言えば、私には「帰る場所がある」、「本来いるべき場所がある」ということなのではないでしょうか。

どっちの国が好きとか、どっちの国の料理が好きとか、そういう話ではないんですよね。ただ単に、「自分は何者なのか?」って話。

 

まとめ


私は過去の記事で何度も何度も「若い学生さんたちは、長期休暇を利用してぜひ海外に!」なんて言ってきたじゃないですか。もしかしたら私は、こういった感覚に触れて欲しいと思っているのかもしれません。

やっぱり、そのコミュニティの中にいると見えてこないことが本当に多いんですよね。そして、そういった「認識しづらい何か」が実はすごく大切なものだったりするのかもしれません。

「人間は社会的な動物である」なんていう表現をどこかで見たような気がするけれど、「社会的である」ということの意味って結構深いのかもしれませんね。みんなすぐ「区別」のことを「差別」だと言うけれど、区別するということは社会的であることにおける一つの重要な要素だと私は考えています。

このあたりからグイグイ突き詰めていくと長くなるし、このブログは大学の講義ではないのでこの辺で止めておきますが(笑)、兎にも角にも、広い視野を持って何でもかんでも考えることって本当に難しいけれど大事だなって、そんなことをあらためて認識させられた経験でした。