元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

花と雨

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今日は日中、かなり強烈なスコールがあり、今年も台湾に夏がやってきたのだなと改めて感じました。

 

花と雨


私も人間ですから日々いろんなことがあり、日々いろんなことを思うわけですが、どうも自分の人生においては良い時と悪い時のコントラストが特にはっきりとついているような気がします。

まあでも、「普通」であることを極端に毛嫌いし、少しでも人と違う生き方をしなければ、というある種の強迫観念に駆られて日本を飛び出して現在のような生活をしているわけですから、そりゃ当然でしょ、という気もします。

物事が上手くいく時というのは、本当に何でも上手くいきます。急に雨が降り出したところで、それはいわゆる恵みの雨。心身を潤してくれる豊かな雨です。

ただ、もちろん逆の存在も認めざるを得ないわけで、何もかもが悪い方向に向く時というのもあります。急に降り出した雨は土を抉り、根を容赦なく攻撃する。体力が足りなければそのまま流されてしまうかもしれないし、何とか耐えても、ダメージの蓄積によって枯れてしまうこともあるでしょう。

一つだけ確かなのは、この世界には、どうしても自分にはコントロールできないことがあるという事実。

落ちる時はどうしても落ちるから、終わりにならないように何とかギリギリのところでうまいこと耐えるしかない。一難去ったら、その体験を次に活かせるように、将来に対する対策を立てるしかない。

絶対に避けなければならないのは、自暴自棄になること。もう流されるなら流されてもいいや、ここで枯れるならまあそれでもいいか、なんて思ってはいけない。多分、そこが花と人間の違いなのだと思う。花同士の相関というのはあまりないと思うけれど(本当はあるけれど、ここではないと仮定)、人間は社会的な存在でありネットワークを作っているから、自分が枯れると周囲にも影響が出る。わかりやすい例が家族だ。だから、私たちには、自分自身のため以外にも頑張る理由があり、枯れるのを回避すべき理由がある。従って、別の観点から言えば、社会的であるが故に我々は強いのかもしれない。

ただ、我々は花よりは強いかもしれないけれど、人間のみに注目したならば、また異なったスケールの相関関係が見えてくる。

守りたい人がいて、自分もまた誰かに守られていて、暖かみのある環境で美しく立派に咲いている人もいるでしょう。

社会ネットワークの一端を担ってはいるけれど、自分がいなくなっても影響は少ない、自分の存在っていったい、、、なんて考えている人もいるでしょう。

私自身について考えてみると、確かに社会的な生き方はしていると思うし、税金もしっかり納めているから社会貢献、つまりは誰かのためにほんの少しくらいは役に立っていると思う。ただまあ、そういうことはあんまり個人的には面白くなくて、やはり鍵は人間関係だ。私は海外で生活しているけれど、一人暮らしだし現地の言葉もわからなくて友達もいないから、未だに人間関係は母国である日本に依存している。でも、やはり地理的な距離というのは結構重要で、ネットワークの網は確かに日本と台湾を繋いでいるけれど、距離が離れているので時々回線がビジーになったり、通信する際にノイズが混ざったりする。つまりは、意思の疎通がうまくいかない時があるのだ。

そんな時に限って、通信相手もまた人間だから、相手もまた何か不調を抱えてしんどい思いをしていたりなんかすることがあって、そういう時には、本当に根、つまりは神経、ひいては精神にダメージを受けることがある。

ということで、最近どうも元気が出ないです。

 

最近のワタシ


台湾ブログなのに、台湾関係の面白い情報等を最近お届けできていなくてすみません。

ここしばらく、私の身の回りでいろんなことが起きていて、日々上がる台北の気温とは裏腹に、私の気分はあまり晴れやかではありません。

台湾を去る日がだんだんと近付いてきているのですが、異動先の職場の事務さんが重大なミスをしたため、まだビザを申請するための書類すら用意できていません。

仕事関係のパートナーが鬱になりました。重要なプロジェクトが数週間に渡って中断しています。

日本にいる身内に健康上の問題があることがわかり、もう別の国に移るのをやめて、無職状態であってもとりあえず日本に帰ろうか真面目に検討しています。

私が皆さんにお話しできるのは今はこれくらいが限界ですが、本当に悪い時というのは、何もかもが悪い方向に向かうのです。

実は最近、たくさんの問題を抱えているせいか、夜になっても全然眠れないのです。疲労が蓄積し、日中なかなか仕事にも集中できないし、飲食店に足を運ぶのもなぜか嫌になってしまって、毎日コンビニの弁当ばかり食べています。他のブロガーさんたちの旅行ブログを読むのが好きだったのに、他人が幸せそうにしているのを見るのもそれらに間接的に触れるのも不快に感じるようになってしまいました。

なぜ今回わざわざこんな記事を書いているのかというと、「こういう時にしか理解できないこともある」と考えたからです。例えば、今この瞬間、すごくハッピーな人がいればめちゃくちゃ落ち込んでいる人もいるわけです。皆さん、落ち込んでいる友人や同僚がいたら励ますかと思いますが、その落ち込み具合が深刻な場合、時にそれは逆効果になります。深い悲しみの底にいる者にとって、順調な人の存在は眩し過ぎ、より傷を深くするからです。

だから、環境は違えども、しんどい思いをしている人がいたら、「俺も今ちょっと心が折れそうなくらい厳しい状況にいるけれど、何とか乗り越えられることを祈ろう」っていうメッセージを送りたいなと。もちろん、未来の自分自身への細やかなエールにもなり得るだろうし。

私はよく「頑張ります」と言うし、友人や同僚にもつい「頑張ってね」なんて言ってしまうことが多いけれど、頑張ってもどうにもならないこと、そもそも頑張りようがないことって実際にはすごく多いんだよね。運とか縁なんていうのも、自分でコントロールができるものではないし。

気がつけば人生も後半のステージ。相変わらず目の前に道はないし、帰る場所もない。まあそれでも、歩く意味はあると思って歩み続けるしかないのかなと。