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台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

飛行機とお酒と夜景が大好きな台湾在住サラリーマン。日々の生活の中で感じた取り留めもないこと、現地在住者ならではの観光情報などについて発信していきたいと思っています。(Twitter: @superflyer2015)

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外国で働き暮らす者としてトランプ大統領の政策に対して思うこと

人種・民族 国際感覚 宗教 政治・経済 時事ネタ 雑感

暗雲


先日行われたアメリカ合衆国のトランプ大統領の就任演説を聞いて以降、いろんなことを考えました。

 

外国で雇用され現地で暮らしている者として


先日、トランプさんは就任演説を行ったわけですが、インターネット経由で中継を見ることができましたから、私もじっくりとその演説を聞きました。

彼の政策は多岐に及びますし、当ブログは政治ブログではありませんから、個別の政策に関してじっくり議論することはしませんが、彼のスタンスというのはここ数日の大統領令への署名である程度はっきりしてきたような気がします。

一つの例ですが、彼は就任演説の中でアメリカ国民に対して「アメリカ人を雇用しましょう」といった趣旨のことを言っています。この言葉は私の胸にズシンと響きました。おそらく、多くの日本人にとってはなんてことのない表現でしょう。なぜなら、今これを読んでいる方のほとんどは日本で雇用され、普段は日本で暮らしているでしょうから。

ただ、私は違います。私は日本生まれ日本育ち、留学等の経験も一切ない生っ粋の日本人ですが、現在は外国(台湾)で雇用され、現地で給料をもらい、現地で税金を納めています。このことを別の角度から見るといろんな表現ができます。例えば、以下のような感じでしょうか。

  • 日本人なのに日本の社会及び経済に貢献していない。
  • 外国(台湾)の社会及び経済に貢献している。
  • 日本における雇用機会を一人分奪わないでいる。
  • 外国人(台湾人)から雇用機会を一人分奪った。
  • 少額ではあるが日本から富を流出させた。(引っ越しに際してある程度日本円を現地に持っていった。)
  • 少額ではあるが外国(台湾)から富を流出させる予定である。(今年台湾を離れるので、現地で稼いだお金を国外に持ち出す予定。)


こうやって挙げてみると、人材をやり取りする国と国との間においては、ある程度公平な「交換」でしかないような気がします。しかしながら、実際はそんな簡単ではなくて、あえて外国で雇用される外国人というのは、それなりにいいポジション、いい待遇で雇用されるのが一般的です。ですから、「そんないいポジションを外国人にあげるくらいなら、自国民を雇用すればいいじゃないか」となりがちなわけです。実際に私が属している業界の連中も、よほど外国人コンプレックスが強いのか、やたらと外国人を雇いたがります。その結果、私は日本でポジションを得ることができず、海外に出ざるを得なかったのです。私は台湾に移り、日本よりもはるかに低い水準の給料で働いていますから、その逆をやっている台湾人がいることを考えれば、私は「負け組」、日本に移った台湾人は「勝ち組」といったところでしょうか。ですから、非常に腹立たしい気持ちも正直なところないわけではありません。ただ、私がもらっている給料は一応「外国人用に設定された給料」ということで、同じポジションの台湾人よりは少し高いそうですから、連中からしたら気に食わないのかもしれません。

ということで、もしかしたら外国人なんて雇わない方がいいのかもしれません。腹を立てる人は少ない方がいいでしょうから。

 

人材を交換することの意義


ただ現実なんてのはそう簡単でもなかったりします。前線でバリバリ働いている者ならわかるでしょうが、一つの国に引きこもってビジネスをするなんていうのはもはや現実的ではなく、どうしても外国人との交渉が必要になります(そうでない仕事ももちろんありますが)。そして、そういったステージにおいて重要になるのは「相互理解」とか「信頼関係」だったりするものなんです。「ビジネスライク」という言葉があるけれど、この言葉が真に意味するところを多分多くの日本人は理解していないのではないでしょうか。実際の現場を見てみれば、「サバサバ」ではなく「ドロドロ」もしくは「ズブズブ」です。

説明が難しいのですが、現代の世においては、「鎖国」というのはいくら望んでも無理なんです。すごくシンプルで効果的な方法に思えるけれど、どうにもこうにも実現はできないのです。となると、次の選択肢は「うまくやっていく」ということになるわけで、そのために最も効果的なのは人材の交換だと私は考えています。一つ重要な側面の例を挙げてみましょう。人間同士が絡み合うと、そこには必ず「友情」やら「感謝の気持ち」やら、場合によっては「愛情」やらといった人間にとって非常に原始的な感情が生まれるものなのです。そういった感情には、人間を深刻な争いから遠ざける機能があると、私は信じています。

極端な例を挙げてみましょうか。韓国や中国のことが大嫌いな日本人は少なくないけれど、憎しみ合うのは少しでも早くやめるべきだと私は思っています。私には、韓国人の同僚がいます。何度も何度も一緒に食事をし、酒を酌み交わし、何度も何度も笑い合った仲です。だから私は、彼らとは戦えない。私には、中国人の恩人がいます。私がもう何もかも嫌になって消えてしまいたいとすら思っていた時に、彼女は私を助けてくれました。だから私は、彼女たちとは戦えません。こういうことを書くと、「個人レベルと国家レベルでは全然話が違うんだ」とドヤ顔で言う人がいます。でもね、案外、世界ってのは個人レベルで動いたりなんかするものなんですよ。

私は過去の記事でも書きましたが、ドイツがやったような規模の移民・難民の受け入れや、多過ぎる国際結婚には反対です。でも、ある程度人というものが世界レベルで流動的であることは必要なんだろうなと、まあそんなことを考えているわけです。

 

余計なお世話


最後にちょっと余計なことを書いて終わろうと思います。

アメリカってのは、人種とか宗教とか思想とか、そういうのに関係なく、「アメリカ人である」というたった一つのアイデンティティーに基づいて人々がまとまっている国家なのだと私は思い込んでいたのですが、トランプ氏の発言を見ている限り、どうもそうではないようですね。

ちなみに、アメリカ人が彼を批判するのはナンセンスです。だって、彼はアメリカ人が誇りとしている「民主主義」的な方法でアメリカ人によって正当な方法で選出されたわけですから。大統領就任直後であり、かつ、彼は選挙中に約束したことを実行しているだけなのにも関わらず、相変わらずすごい人数がデモなんかをやっている様を見ていると、アメリカ人の民度の低さがよくわかります。

みなさん、「平家物語」という作品をご存知ですか?

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

 
我々はもしかしたら、世界の勢力図が大きく変化するその過渡期を生きているのかもしれません。