(*台湾とは何の関係もない記事です。)
昔の偉い人がこんな言葉を残しているそうです。
天は人の上に人を造り、人の下にも人を造った。
みんな背中に値札を付けて生きているということでしょうか。
もうベッキーも完全にメディアから消えちゃいましたから、この話もそろそろ終わりですね。半年くらい後になって、「あ〜そんな人もいたね」なんて方々で囁かれるのでしょうか。盛者必衰とは本当によく言ったものです。
なぜベッキーだけが一方的に干され、川谷絵音の人気はむしろ上がるのか?
「ゲスの極み乙女。」の「私以外私じゃないの」という曲は聴いたことがあったのですが、昨晩ふと思い立ち、「両成敗でいいじゃない」と「ロマンスがありあまる」という二つの曲も聴いてみたのですが、めちゃくちゃ良くできた曲ですね。私は普段、日本のポップスはほとんど聴きませんが、こんな曲が巷では流れていたんですね。
さらに、川谷絵音が作詞も作曲もやっているというのを知って、あ〜そういうことなのねと、非常に納得がいきました。
社会的に見た時の「一人の人間の価値」というのは本当に様々ですし、職業による格差だって果てしなく大きいのが現実です。特に、「ゼロから何かを造り出せる人」の価値というのは凄まじく高いですね。その人の造り出すものが大衆のニーズに合っていたならば尚更です。
「ゲスの極み乙女。」が今後どのくらいの期間活動するのかわかりませんが、現在も今後も、「彼らのおかげでご飯が食べられる人」というのは決して少なくないのではないでしょうか。ただでさえ衰退の一途を辿っているなんて言われている業界ですしね。
では、ベッキーはどうでしょうか。他人の書いた曲を歌ったり、他人が書いた脚本通りに笑顔を作ることはそこまでユニークではないですね。「代わりはいくらでもいる」という一言に尽きるのでしょう。顔やスタイルといった外見も価値なのだとは思いますが、私はもっと若い女の子の方が好きです。
事態の収束は「社会全体」の価値が最大化する方向へ
要は、「ベッキーが消えて困る人は少ない」けれど、「川谷絵音がいなくなって困る人はたくさんいる」ということですね。社会が川谷絵音を必要としているわけです。
私ももっと彼らの曲を聴きたいし、お金だってもちろん払うつもりです。私は一時期、槇原敬之氏の曲が大好きで聴きまくっていました。そして後日、彼がドラッグで捕まった前科者だということを知りました。すごく残念だったけれど、今でもやっぱり彼の曲は大好きだし、これからも新しい曲を作り続けてほしいなと思っています。
できることなら認めたくない、すごく悲しい現実だけれど、砂浜みたいなものなのかもしれません。誰からも見向きもされないような砂とかゴミとかで溢れる中、たまにキラキラ光る石があったり、綺麗な貝殻があったり、、、
オバマさんや安倍さんには常に護衛がついているそうです。彼らは、もしオバマさんや安倍さんに銃が向けられたら、身を捨てて守るそうです。その代わり、護衛の方達の給料は高めに設定されているそうです。
人の価値は様々で、みんな値札を付けています。国家元首は社会的に、、、等々、フォローする方法はいろいろとあるわけですが。
少し話がズレますが、その値札が誰からも決して見えないのが子供です。だから子供というのは、みんなして必死で守らなければいけない存在なのです。私はそう考えています。
そんな全てを超越するのが愛なのでは?
なんかくさい見出しですみません。
みなさんにも彼氏や彼女、夫、妻、両思いではないけれど好きな人、画面からなかなか出てきてくれないシャイなパートナーなどなど、大好きな誰かがいるかと思います。私にももちろんいます。
仮にその相手を、「任意の相手と交換できる」としたらどうでしょうか? アイドルでもイケメン俳優でもOKです。
みなさんなら、交換を望みますか?
私は何年か前に、「私が先に逝ったら、連れに来ちゃおっかな〜」と言われたことがありますが、今でも答えは「OK」です。
愛ってそういった感じのものだと思って私はずっと生きてきました。
そしてもちろん、愛情が一方的だった場合に訪れる悲劇も経験的に知っています。本当に狂いそうになるあの感覚だけは、もう死ぬまで絶対に味わいたくありません。死ぬより辛いことなんて、たくさんあるのだと思います。
ですから、川谷絵音の奥さんのことがただただ可哀想です。
でも、いったん逸れた愛情が戻ってくることなんて、果たしてあるのでしょうか。私にはわかりません。
今日ニュースで見ましたが、どうやらベッキーは川谷絵音との結婚を強く望んでいるけれど、川谷絵音はベッキーとは別れようとしているそうですね。
ロミオやジュリエットもぶったまげるような悲劇ですね。
最終的にどうなるのかはわかりませんが、「才能がありあまっている有能なプレイボーイアーティストに略奪愛を仕掛けた女性タレントが全てを失った」ということなのでしょうか。誰が作ったのか知りませんが、「プレイボーイ」という言葉はあるのに、「プレイガール」という言葉な存在しないんですよね。「性差」に起因していると言わざるを得ません。
もっとも、そうは言っても、これが一般人同士の話であれば、「二人とも同じくらい悪いから両成敗」で済むのでしょうが。
最後に、どうやら矢口真里がこの件に関して、「世の女性はけっこう浮気してる」なんて発言したそうですね。
おい、さすがに一発殴らせろよって感じなんですが、、、
この発言にめちゃくちゃ腹立った男ってたくさんいるんじゃないですかね。
今回話題になったのは、やっぱりなんだかんだ言って特別な人たちなのであって、倫理観とか道徳とかにがっつり支えられている一般平民の人生ってのはまたいろいろと違うんだと思う。