元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

海外で「宗教は?」と聞かれたら何と答えるべき? 外国人を安易に天麩羅屋に連れて行ってはいけない?

そこそこの期間海外に実際に住んで、いろんな国の人とコミュニケーションをとっていると、当然ながらいろいろと日本では経験したことのない状況を経験します。その一つは、海外ではけっこう頻繁に「あなたの宗教は?」と聞かれることです。

 

海外で「宗教は?」と聞かれたら何と答えるべき?


もちろん、会ったばかりの人に聞かれるようなことはまずありませんが、ちょっと親しくなるとけっこうされることの多い質問の一つです。もう少しマイルドな表現として、「あなたは信仰に厚い人ですか?」なんて聞かれることもあります。私の場合、台湾で台湾人から聞かれることもあれば、仕事関係の欧米人から聞かれることも多いです。日本ではまずしない質問ですよね。

質問者の意図としては、単純に興味関心から聞いてくることもありますし、「食事の好み」というか「食べられないものがありそうか」を推し量るために聞いてくるケースもあるような気がします。
「あなたはどこから来ましたか?」に似たような比較的軽い質問ですから、質問をされても驚く必要はありません。普通に答えればいいだけです。日本人だと、やはり仏教か神道あたりが多いのではないでしょうか。また日本人の場合、「宗教を信仰したことなんてない」という方もたくさんいるかと思います。その場合は、「私はあまり信仰に厚い人間ではありません」といったような答え方をすれば大丈夫です。「宗教を信仰していないと答えると、欧米ではドン引きされる」なんて書いてあるサイトもたくさんありますが、私は断言します。情報が古過ぎる、絶対にそんなことはない、と。実際に欧米人でも、「宗教は信仰していない」と答える人はそれなりにいます。私の友人にもそういった人はけっこういますが、みんな学歴職歴共に充実していて、社会のupper class(上流階級)にいる人たちです。あくまで「信仰は自由」なのです。

友人の宗教に関して、みなさんも気になるようでしたら気軽に聞いてしまって大丈夫だと思います。ただ、一点だけ注意があります。「他者の信仰について何か意見を言うことだけは絶対に避けるべき」です。「何教か?」を聞いて応えが返ってきたらその話はもう終わりです。付け加えるとしたら、「何か食べられないものはありますか?」だけです。「キリスト教は◯◯だよね〜」とか、「最近イスラム教徒が、、、」等の話は絶対にNGです。人によっては、信仰は自らの人格の一部ですから、他人がどんな些細なことであれ意見すべきではありません。

 

同じ宗教でもいろいろと異なる点が多い


もう一点、特筆すべきことと言うか、私がけっこう驚いたのは、例えば、同じキリスト教徒でも宗派や所属している教会によっていろいろとしきたりは異なるということです。カトリックかプロテスタントか、などといったシンプルな話ではありません。それなりに信仰の厚い人であれば、毎週必ず教会に足を運びますから、みんな「自分の教会」というのがあるのです。私のある友人は、毎回食事の前に30秒くらいかけてじっくりお祈りをします。しかり、別のキリスト教徒の同僚は一切そういったことはしません。二人とも非常に敬虔なキリスト教徒です。
ちなみに、同僚に聞いてみたところ、ざっくり言って台湾人の10人に1人はキリスト教徒だそうですから、「中華圏の人はみんな儒教か仏教か道教」なんて思い込むのは危険です。社会の上の方にいる人たちの多くがアメリカの大学を出ていたりするので、特にそういった層にはキリスト教徒が多いです。

とは言え、台湾では仏教徒がやはり割合的に多いのは事実です。正確に言えば、仏教と道教や儒教が混じり合ったものであったりすることが多いです。
日本人が注意すべきは、仏教徒の一部は菜食主義者(ベジタリアン)だということです。台湾の街を歩いていると、「素食」と書かれたお店をそこそこの頻度で見かけますが、これはベジタリアンレストランのことです。私も、ベジタリアンの友人と一緒に食事をする時はだいたいそういったお店に行きます。他にも、普通のお店であっても、ベジタリアン用のメニューが存在することが日本に比べると圧倒的に多いです。
ちなみに、台湾のベジタリアンレストランは「ヘルシーか?」と問われたら、そんなことはないと私は思います。中華料理全般に言えることですが、油っぽい料理がやはり多いので。実際にその仏教徒の友達は肉も魚も一切食べないけれど太っていますし。
ついでに書いておくと、台湾にはお寺がけっこうたくさんあるのですが、その友人に、「全部仏教のお寺なの?」と聞いてみたところ、「ほとんどのお寺が、道教や儒教等いろいろと混ざっているから、一言で簡単には表現できない」とのことでした。

あとは、何かと世間を騒がせているイスラム教徒ですが、私の仕事関係の仲間を見る限り、みんな非常に勤勉で、質素倹約な生活をしている人が多いです。そのうちの一人は先日、「イスラム圏ではまだまだ教育環境が整っていなくて、まともな教育を受けたことが無い人がとても多い。だから、いったいどれだけのイスラム教徒がコーランを理解しているのか、私にもわからない。」と言っていました。これ以上は書きませんが、本当に難しい問題です。

 

日本で外国人を安易に天麩羅屋に連れて行ってはいけない


上で登場した仏教徒の台湾人の友人なのですが、先日日本に出張に行ったところ、取引先の方が天麩羅屋に連れて行ってくれたそうです。
席につき、「何が食べたいですか?」と聞かれ、友人は「ベジタリアンなので、野菜のみでお願いしたい」と伝えたそうです。それと同時に、友人はハッとして「どんな油を使いますか?」と聞いたところ、豚由来のものだったそうです(天麩羅にラードを使っているお店なんて本当にあるのかなとは思いましたが、、、)。しかしながら、友人は「油くらいなら全然問題ないので、気になさらないでください」と伝え、野菜の天麩羅のみ食べてきたとのことでした。
私はその友人がかなりストイックなベジタリアンであることを知っていますから、「大丈夫だったの?」と聞いたのですが、「大丈夫なわけないじゃん。でも、自分には選択肢がなかった。相手は大事な取引先だし、お金も向こうが払ってくれるのだから。」との返事が返ってきました。

これを読んで、「そういうめんどくさい外国人は日本に来るな!」と思われた方も少なくないのではないでしょうか?
気持ちはわかります。私は小さい頃から、「食事は作ってくれた人に感謝して食べなさい。自分の体の一部になる肉にも魚にも、農家の人たちにも感謝しなさい。ご飯一粒でも絶対に残してはいけません。」なんて言われて育ちましたし、この世界には食べるものがなくて餓死している人も決して少なくないわけだから、「選ぶなら食うな!」と言いたい気持ちは正直あります。
でも、人によっては、宗教というか信仰というのは生きることそのものだったりするんですよね。
少なくとも、食べられないものの確認というのは、現在のグローバルなビジネスシーンにおけるスタンダードですから、やはり我々も注意すべきなのでしょう。

みなさんは、国籍を問わず、外国人を日本でもてなすとしたら、いったいどんなお店に連れて行きますか?
もちろん日本ならではのものを食べさせてあげたいから、私だったらやっぱり、会席料理か寿司か天ぷらですかね。でも、これってベジタリアン的には全部アウトだったりするわけです。もっとも、魚は大丈夫という人や、特定の肉だけNGという人もいますし、肉を扱った調理器具も避けて欲しいなんていう方もいたりしますから、実際には本当に複雑です。

とりあえず、私はもう万全を期すため、日本人だろうが外国人だろうが、必ず食事の好みを事前に聞くようにしています。接待関係はやはり金曜日の夜が多いので、事前に予約がどうしても必要になりますから。
とりあえずここで強調しておきたいのは、「相手のことを思って、その場では本当の嗜好を伝えてこない外国人もいる」ということです。先方には何も事前に伝えず、主体的に店の手配をしておくのは一見スマートに見えるのですが、気をつけないと相手にとってはただの拷問にもなりかねないということなのです。


ということで、今回の記事のキーワードは「宗教」と「ベジタリアン」でした。
ちなみに、私は小さい頃から、「全ての物には神様が宿っているから、物は大切にしなさい」とか「お天道様はいつだって見てるから、人に言えないようなことはしてはいけない」などと親から言われて育ちました。これも宗教なのでしょうか?

今回このような記事を書いてみて思いましたが、日本という国は本当にユニークで魅力的ですね。私は大好きです。だからこそ、最近日本人らしい日本人が減ってきているのがちょっと残念だったりするんです。まあ私のような、海外在住の保守派(?)というのもなんかちょっと変なのかもしれませんが。