今回は、私がその使用に普段疑問を持っているある言葉について書いてみたいと思います。
(※以下は私自身の置かれた環境をベースにしつつ、私の家族、同僚、友人といった周囲の人たちが置かれている環境、彼ら彼女らの発言を踏まえた個人的な考察です。)
「イクメン」とは?
近年急速に普及した表現である「イクメン」ですが、Wikipediaによると、以下のような由来だそうです。
イクメンはイケメンから派生した語である。イケメンとは魅力的であることを表す俗語「イケてる」と顔立ちを指す「面」の合成語で、マスメディアを通じて2000年代以降に若者言葉として普及した。イクメンの語は、この「イケメン」の肯定的な語感を踏襲し、「イケメン」の「イケ」を養育の「育」に置き換えた合成語である。マスメディアの主婦向け情報番組などが、子育てに熱心な男性を現代的な父親像として定位する意図で用いたことから普及した。
ということで、「子育てに熱心な父親」のことです。
もちろん、何をもって「熱心」と言えるのかはよくわかりませんが、世間一般のイメージではやはり、オムツ替えをしたり、お風呂に入れたり、寝かしつけたり、そういったことを積極的にしている父親のイメージがある気がします。
育児は乳幼児期で終わりではありませんから、子供が少し大きくなった後は、勉強の面倒を見たり、習い事の送り迎えをしたり、休日には積極的に外に連れ出して様々な経験をさせたり、そんな感じの父親のことなのではないでしょうか。
そういった男性が増える(既に増えてきた?)というのは純粋に素晴らしいことだと思います。
不快に感じる理由
実は私、この「イクメン」という言葉を普段不快に感じており、男性全体に対するヘイト、差別用語、過度な同調圧力、社会悪だとすら思っています。
理由は色々とあるのですが、当記事で述べたいのは以下の四点についてです。
- 女性に対する同様の呼称は存在せず、ただの性差別。
- 子育てにもっと関わりたくても時間の捻出が困難で関われない父親もいる。
- 「子供と関わった時間が多い=子育てに熱心」は正しいのか?
- そもそも「父親」になるのが難しい時代。
それでは、これらを一つずつ見ていきたいと思います。
1、ただの性差別
まず皆さんに問いたいのですが、こういう言葉の存在自体が気持ち悪いと思いませんか?
男を名指ししているという点もそうですが、「従来男は子育てに熱心ではない」というニュアンスが感じられて男として純粋に不快です。
当ブログの過去記事をお読みいただけば分かるわけですが、私は徹底した「女性擁護」をモットーにしています。これからは女性の時代であると考えているから、というのも一つの理由ですが、そういう時代になった方が世の中は明るくなるだろうという思いもあります。
そんな中、こういった概念によって間接的に女性から攻撃されると悲しい気持ちになるのです。少なくとも私は「イクメン」ではないわけで、社会において肩身が狭く感じます。
「こうあるべき」と言われているようで、とにかく息苦しく感じるのです。
2、時間がない
少し言葉が悪いかもしれませんが、「社会人生活を舐めている人が多い」なと私は感じます。
私は貧しい家の出でして、私には学がなく、まともな職に就くこともできず、現在の仕事も非正規、40代にも関わらず年収は300万円程度ですから、いわゆる現代日本社会における最底辺です。
しかしながら、なぜか私の周囲にはいわゆるエリートが多く、そういった人たちとコミュニケーションをとる機会に恵まれています。
そういった連中の多くは既婚者で、子持ちも多いのですが、「イクメン」なんて一人もいません。具体的に言えば、子供が起きているような時間に帰宅できる人が一人もいないのです。
みんな責任ある立場で一生懸命働き、毎日疲れ切って帰宅しています。子供が布団の上で横になる時間帯にはまだ働いているという人も多いのです。
そういった「日本の社会人のリアル」を見ていると、この「イクメン」という言葉は日本社会を支えている真に価値のある連中を馬鹿にしたものであるように思えてならないのです。
「そんな仕事に就く男が悪い」、「会社がブラックなだけでしょ」なんて言う方もいるのかもしれませんが、連中の職業はいわゆる士業や国家公務員、教員、警察等です。
世の中には、「代わりがいない」立場の職業人というのもたくさんいます。「男性も育休を取るべき」なんて言う方もいるようですが、受験生の子供の担任が急に「育休とります」なんて言い出したら皆さんはどう思われますか? 難しい案件でお世話になっている警察官が急に「育休をとるので担当が変わります」なんて言い出したら困るケースもあるでしょう。担当医が「育休を取ることにしたので、来月の手術は別の先生にお願いしました」なんて言い出したら困ると思いませんか?
綺麗事は置いておくとして、如何にもこうにも育児に割く時間の捻出が難しい人というのは決して少なくないのです。ある友人が言っていました。「まともな父親なら、なるべく子供と関わる時間を多く確保したいと考えるのは当たり前。ただ、現実はそんなに甘くない。親としての責任だけではなく、職業人としての責任もある。」と。
3、「熱心」の定義とは?
世間一般では、「子供と関わった時間が多い=子育てに熱心」と考えられる傾向があるようですが、果たしてこれは正しいのでしょうか?
経験がないとなかなか分かりづらい話かもしれませんが、子供を養うのには本当にたくさんのお金が必要です。習い事をさせて興味の方向性を探る手伝いをしてあげたい、たくさん旅行に連れて行って色んな世界を見せてあげたい、そんなことを現代の親なら誰しも考えるものです。昔に比べ、教育コストは明らかに上がっています。
ですから、仕事上の責任云々は置いておくとしても、教育にかけられるお金を少しでも増やそうと一生懸命長時間労働に耐えている人も多いです。
これもまた、「子育て」という営みの一つの側面なのではないでしょうか?
家族のために一生懸命働いているお父さんは、本当に子育てに熱心ではないのでしょうか?
オムツ替えとか寝かしつけとか、そういう「分かりやすい」(楽とは言っていません)部分だけを持ってきて育児への参画だと言うのはあまりにも安直だと私は思うのです。
4、「父親」になれないケース
私の周囲には、「子供が欲しくてもできなかった夫婦」が何組もいます。そしてその中には、子供と関わる仕事の人もいます。
父親になるというのは本当に難しいことです。
一般的に言えば、まず恋人を作る必要があります。これには相手の同意が必要です。
次に、(基本的には)結婚する必要があります。これにも相手の同意が必要です。
そして、性行為をして子供を作る必要があります。これにもやはり、相手の同意が必要です。
また、行為をしたからと言って簡単に妊娠するとは限りません。タイミングが合うことが必要なだけでなく、双方の生殖機能が良好である必要もあります。
たとえ妊娠したとしても、赤ちゃんがお腹の中で十分な期間正常に育つとは限りません。流産も決して珍しいことではありません。
父親になるということは、長い障害物競走を走り抜くようなものなのです。どこかに「どうしても越えられないハードル」があるケースは稀ではなく、不本意でも完走ができない場合があります。
子供が欲しくてもできなかった女性が、長くそのことを引きずることがあります。しかしながら、これは男性も同じです。「電車の中吊り広告で『イクメン』という言葉を目にするだけで心に何かが刺さる」。同僚のそんな言葉がきっかけで、今回こういった記事を書くことにしました。
「子育て」とは?
私は、「子育て」というのは社会全体でするべきものだと考えています。
自分の子供を育てることだけではなく、例えば、仕事をしてお金を稼ぎ、納税することもまた間接的な子育てなのではないでしょうか。
もちろん私だって、誰もが午後6時に家路につける世の中になったらいいなとは思います。
しかしながら、これから日本社会はもっともっと厳しい時代に突入します。少子化に超高齢化、人材不足。もっともっと社会から余裕がなくなるのは確実です。そんな時代を生きている我々が、イクメンだなんだと言って個人を突くようなことをしていては話にならないと私は思うのです。
我々日本人は今明らかに下り坂を転げ落ちようとしています。そしてもちろん、日本の未来を担うのは今を生きている子供たち、及びこれから生まれてくる子供たちです。そういった連中を全体でどうやって支えていくか、どうやって育てていくか、それを考えて動くのが我々大人の責任というものなのではないでしょうか。
できることなんていくらでもあります。たくさん働いて、たくさん稼いで、たくさん納税するのも育児。乳幼児がいる社員が定時で退社できるよう取り計らうのも育児。子供が発熱したと保育園から連絡を受けた社員が、あまり心を痛めずに早退できるよう取り計らうのも育児。地域社会の治安を良好に保つのも育児。子供に対して犯罪行為を行うような輩を徹底的に糾弾するのも育児。保育園の新設に賛成するのも(反対しないのも)育児。
国民全員が社会の構成員としての自覚を持ち、子供という国の宝をみんなで育てれば良いのです。
「イクメン」が増える世の中よりも、そういった意識を持った人が増える世の中の方が素敵だと思いませんか?