元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

全国で広がる「入学願書の性別欄廃止」。制服やトイレはどうするのか?

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どこまでやるべきなのか?

 

入学願書の性別欄廃止


既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、大阪府と福岡県が、公立高校の入学願書にある性別欄を2019年春の入試から廃止することを決定しました。トランスジェンダー等の性的少数者への配慮のためとのことです。

 

現在、その他の都道府県も廃止に向けた議論を進めているところであり、この流れに追随する可能性が極めて高いと言えます。

 

また、この話はもちろん公立高校に限った話ではなく、様々な自治体で最近では各種申請書から性別欄をなくす動きが進んでいるそうです。

 

日本における性差別の一例


個人的には、性別というのは生物としての基本的な性質であり、少なくとも生物学的な定義をすることは社会的な理由によって否定されるべきではないと考えています。また、男女ではそもそも体の造りが違うわけで、仮にもし「学校側が生徒の性別を把握できない」のだとしたら、それは危険なことのように思えます。

 

しかしながら、今回の件はあくまで「入試」に特化した話であり、「性別が合否に影響を与えるのはおかしい」という点に関しては至極もっともだと思います。重要なのは入学後の対応であると言えます。

 

しかし、それでもなお、個人的にはモヤモヤとした気分になってしまいます。

 

例えば、最近私が目にした日本の公的機関の求人の募集要項には以下のように書かれていました。

 

能力が同等である場合には女性を採用する。

 

現在日本では、政府主導で公的機関や民間企業における男女比を正常化しようという政策が推進されています。極論を言えば、日本には男性と女性はほぼ同数存在しているわけですから、例えば、企業の幹部の約半数は女性であって当然、ということになるわけです。しかしながら、言うまでもなく現状は男性の幹部の方がはるかに多く、決定権が男側にあるうちは変わらないだろうということで、国が圧力をかけているわけです。

 

ただ、この「女性を選択的に雇う」という政策と「性別欄の廃止」はどうしても矛盾するように思えてなりません。

 

「性別が合否に影響する」のは絶対におかしいと思います。ですから、選考時に参照可能な資料から性別に関する情報を消し去るのは合理的です。ただ、「女性を選択的に採用する」というやり方は本当に理にかなっているのでしょうか。「能力が同等なら」と書いてはありますが、要は「少し劣っているくらいなら女性を選ぶ」という意味なわけで、こういったやり方はやはり強引だなとつい思ってしまいます。

 

もちろん、これはアメリカでだいぶ昔から存在する「affirmative action(積極的差別是正措置)」というものであり、日本がそれを真似ているだけ、ということは理解しています。しかしながら、これは元々アメリカにおける黒人差別が発端であるわけですが、日本における性差別がそこまでひどいレベルかというと、とてもそうとは言えない気がするのです。

 

最近の日本における性差別是正運動においては、「とりあえず女性の味方をしておけばOK」といったような安直さを感じずにはいられません。

 

制服は? トイレは?


さて、それでは高校の話に戻りますが、「性的マイノリティーへの配慮」という観点から言えば、やはり肝心なのは入学後のことだと思います。

 

例えば、トランスジェンダーの生徒が「心の性別」に合う方の制服を着たいと思ったとしたら、当然これは認められるべきです。

 

ただ、もう少し突き詰めて考えてみると、そういった生徒たちに二択を迫ること自体が性差別だとも言えるような気がするのです。ですから、個人的には「制服は一種類に統一」するのが最適解だと確信しています。

 

他には、例えばトイレに関しても同様です。どちらに入るかの選択を迫るのではなく、単に個室のみのトイレ一箇所に統一すれば良いだけなのだと思います。

 

今、日本社会は「どこまでやるべきなのか?」という問いに答えを出すべく議論を継続しているわけですが、制服とトイレくらいはユニセックス化しないと収まりがつかないだろうと私は考えています。

 

少数派が多数派を凌ぐ時代


最近の日本社会における様々な動きを見ていると、「少数派」という言葉の定義が自分の中で揺らぎそうになる時があります。

 

例えば、私はLGBT等の性的マイノリティーに関するブログ記事を書く際にはいつも非常に緊張します。とにかく彼ら彼女らを擁護する立場で書かないと、私のTwitterアカウントに彼ら彼女らのサポーターが押し寄せて攻撃を仕掛けるようなシステムが確立しているからです。この点において、性的マイノリティーは私、つまり性的マジョリティーよりも強いです。本音を言えば、そういった観点から、ブロガーとして私は彼ら彼女らのことを怖いとすら思っています。なぜなのかは分かりませんが、彼ら彼女らの周囲にはいつも弁護士がいますし。

 

「普通」の意味


私は私を攻撃してくる人たちから何度もこの質問を投げられました。

 

「普通」って何ですか?

 

私は、「普通」とは「大多数の人たちにとって共通の概念」であると考えています。ですから、まあ雑に言えば「多数派の意見」ということになります。ただ、そう言うと彼ら彼女らは非常に腹を立てるのです。

 

一体、正解は何なのでしょうか?

 

うちの職場にもトランスジェンダーの社員がいます。見た目では性別が判断できなかったので、同僚に「heと呼ぶべきなのか、sheと呼ぶべきなのか?」と聞いたところ、「生物学的には男だけれど、女子トイレを使っているからsheでOKだと思う」と言われ、私はそれ以降彼女のことを女性だと認識しています。私からしたら、彼女は「普通」ではありません。ただ、それだけのことです。私にとっての「普通」と彼女にとっての「普通」は異なるのかもしれませんが、そんなことは問題ではありません。彼女は私の部下ですから、十分な質の仕事をしてくれるかどうか、私にとって重要なのはそれだけです。

 

ゴール


「性的少数者」なんて言葉が毎日のようにメディアで登場する時代なわけですが、そもそも彼ら彼女らにとっての「ゴール」というのは一体どこにあるのでしょうか?

 

相変わらず彼ら彼女らは「理解を!」と叫んでいるわけですが、もうとっくに理解はされていると思います。男同士で手をつないで歩いている人を見れば、「あっ、ゲイなんだな」と思うだけです。現代人は他人のことに感けているほど暇ではありませんし、自らと利害関係のない人のことなんてどうでもいいのです。

 

そもそも、「理解」が云々言うのであれば、多くの日本人が嫌悪感を持っている中国で日本の生活保護よりも低い賃金で働いている私の生き方の方がよほど理解などされません。

 

まあそれは置いておくとして、真面目な話、どこまでユニセックス化をすれば終わりになるのでしょうか。高校の制服やトイレを変更するのは比較的容易かもしれませんが、例えば、公衆浴場は全て混浴にするべきなのでしょうか?

 

極端な話だと思いますか?

 

それでは、どこまでやるのが正解なのでしょうか?

 

性的少数者の本音


「そもそもセクマイの人たちはどう考えているのだろう?」と気になり、色々と調べてみました。その結果、以下のような意見の人が多いということがわかりました。

 

  • 「放っておいて欲しい」
  • 「そっとしておいて欲しい」
  • 「メディアで取り上げないで欲しい」
  • 「メディアに『ネタ』にされるのが一番苦痛」

 

個人的には、性的マイノリティーの人たちはもっとアグレッシブなものとばかり思い込んでいたので、正直これには驚きました。そして、思いました。「なんだ、、、みんなめっちゃまともやん、、、」

 

となると、声が大きいのは一体誰なのでしょうか、、、?

 

私を攻撃してきた人に、「あなたたちのような性的少数者の方々は、、、」といったような言い方をしたところ、「いや、俺は違いますよ。彼女の友達がセクマイで、、、」なんて返ってきたことがあったのですが、なんだか点と点が線で繋がった気がしました。他にも、弁護士の方から攻撃されたこともありますが、それは彼にとってはお金を稼いで食っていくための「仕事」ですしね。

 

SNSやweb専門メディア、キュレーションサイト、個人ブログ等の乱立によって、真実を知るのが本当に難しくなりました。

 

終わりに


繰り返しますが、入試の選考プロセスにおいて答案以外の個人情報を全て隠すなんていうのは当然のことですし、性別が合否に影響するなんていうことはあってはなりません。医学部の入試でこれを徹底すると入学者の過半数は女性になるという話を読みましたが、それならそれで大いに結構でしょう。

 

ただ、性的マイノリティーに配慮して、、、などと言うのであれば、問題は本当に入学後です。制服やトイレ、体育の授業などをどうするのか、その辺に個人的には非常に興味を持っています。

 

制服は「スカートを履きたい」という女子中高生の声を理由に現状維持、トイレに関しては予算の都合で現状維持、というのが私の現時点での予想ですが、どうなることでしょうね。まあもっとも、議論すらなされないという可能性も否定できませんが。

 

ちなみに、この記事を書いていて思ったのですが、英語で「he」や「she」なんて言うのもやめて、「it」の人間版みたいなのを作った方が良いのかもしれません。「he/she」なんて書き方もありますが、ちょっと文字数が多くて面倒ですしね。

 

あとは、「レディーファースト」なんて表現も差別用語として認定するべきでしょうね。

 

結果として、どんどん女性が生き辛くなるような世の中にならなければ良いなと、私は願うばかりです。