あなたは「人を見た目で差別」していませんか?
きっかけ
今日たまたま、「入れ墨と公衆浴場問題」についてのニュース記事を読みました。
それによると、2020年の東京オリンピックを控え、入れ墨(タトゥー)をしている人を受け入れるホテル、旅館、スーパー銭湯や日帰り温泉が増えているのだとか。
もちろんこの手の議論はいつも真っ二つに分かれます。
「差別反対!」と叫ぶ人はたくさんいますし、メディア(&芸能人等の有名人)側としてはそちら側につく方が時代のトレンドにも合っていますし敵も作りにくいため、当然そちら寄りの論調に傾くことが多いです。
一方、日本にはかつて入れ墨は犯罪者をマーキングするための一手法であったという過去がありますし、暴力団員が好んで彫る印象も未だに強いため、抵抗感を持つ人も多いです。
私個人としては、入れ墨は昔から見慣れているので見ても何とも思いませんし、自殺大国日本出身ですから、他人の自傷行為に口を挟むつもりもありません。ただ、私からしたら入れ墨はあくまで自傷行為ですから、身内や友人知人が彫ろうとしたら反対しますし、特に子供には見せたくありません。
ですから、「入れ墨ホルダーが安心して入れる風呂」も必要だし、「嫌悪感を持つ者が安心して入れる風呂」も必要だと考えています。したがって、各施設がわかりやすい形ではっきりと方針を明記しておくのが一番だと考えています。
「差別」という言葉を持ち出すのが好きな人が多いわけですが、みんなが気分良く入浴を楽しむためには、ちょうどいい感じに「区別」する必要があるのだと思います。
とまあ持論はこのくらいにしておいて本題に移りますが、入れ墨という言葉を耳にすると台湾在住時のことを思い出します。
台湾人と入れ墨
台湾を何度も訪れているTwitterのフォロワーさんと以前これについて話したことがあるのですが、台湾人の若い世代には入れ墨をしている人が多いです。街を歩けば、足首の辺りにワンポイントのファッションタトゥーを入れた若い女の子をよく目にします。
私は育ちが悪いので、風紀が悪い場所にいると落ち着きます。例えば、クラブなんかも大好きで、在住時はよく通っていました。
(台北で夜遊び)台北101周辺にあるナイトクラブへの行き方・遊び方等のまとめ - 元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々
喧嘩に売買春、ドラッグ等、まあやはり台湾も例に漏れずそういった場所では色々とあるわけですが、タトゥーホルダー率もかなりのものでした。日本の渋谷のクラブなんかと比べても大きな乖離があります。
そんな経験もあり、私は結構な年齢のオジサンですが、「ファッションとしてのタトゥー」の意味合いに関しては、同世代の連中よりは理解できているのかなと勝手に思っています。
ある台湾人女性の言葉
台湾の若者の間でタトゥーが流行っている件に関してはもちろん台湾人の間でもよく知られています。
私も在住時、親しい同僚とこれについて話すことがありました。その人はヨーロッパで長年働いた経験を持ち、4か国語を操るバリバリのキャリアウーマンですが、彼女の口から出た2つの言葉は今でも強く印象に残っています。
- 若い女の子たちが必死でタトゥーを入れる様から「荒廃」を感じる。
- 国立台湾大学の卒業生でタトゥーを入れている人を見たことがない。
なるほど、と思いました。自由主義、個人主義の世の中ですから、他人に迷惑をかけない限りは何をしても基本的には問題ないとは思いますが、社会ってのは本当にドライだなと。
実は私も着衣時には見えない場所にタトゥーを入れているのですが、いくらファッションだ、ただのお洒落だと言ったところで、我々は社会のアッパークラスからは馬鹿にされているということです。
高学歴な人というのは、普段はニコニコ笑顔で紳士淑女として振る舞っているわけですが、自分自身に絶大な自信やプライドを持っている人が非常に多いです。公の場では、「見た目で差別なんて論外」、「寛容な心で受け入れましょう」、「ファッション文化に対する理解を」なんて言っているわけですが、腹の中で何を思っているかはわからないわけです。
仲良くなって、本音が聞けるようになって、失望。そんな経験を私は何度も何度もしてきました。
これではまるで、タトゥーを入れた私は自ら「下の人間」であるとタグ付けたことになってしまうのでは? そんな葛藤がずっと続きました。
我々一般人には、りゅうちぇるのような社会的影響力も経済力もありませんからね、、、引き合いに出しても虚しくなるだけ、、、
とにかく財力が全てなこの資本主義社会が息苦しくて仕方ありません。そういう社会に腹が立って、少しでも尖っていたいと思って決意の証としてタトゥーを入れたのに、それがまた仇となる、、、よくできている本当に嫌な社会です。
ルックスは重要か?
「人を見た目で判断してはダメ!」
私も親からそう言われて育ちました。
だからずっとこのことは正しいと思い込んで生きてきたわけですが、当時の親の年齢に自分がなってみて本当の意味がようやくわかりました。
賢い連中は全部見ている。我々の顔も服も腕時計も鞄も靴も、もちろんタトゥーの有無も。なぜなら、「中身」だけは見えないから。
でも、連中は決して口には出さない。見た目であれこれ判断していても、絶対にそれを口には出さない。
それを理解した今、改めて思います。
あ〜お母さんが言っていたのって、「他人の見た目に関する発言は控えよ」って意味だったのか、、、と。
生き方の正解
あれこれ考えてみて、辿り着く答えとしては「ルックスは重要だから、容易に消せない入れ墨を検討する際には慎重に」、「他人の見た目に関してあれこれ言うのは良くないから、この手の話題にはあまり関わらない方がスマート」ということになるのかなと。
本当に息苦しいですね、現代社会。
尖ろうとして自滅。
ユニークでいることに積極的になって自滅。
それじゃあ一体どうすればいいのか?
所詮この世は「影響力」と「お金」。
パワーを持っている奴、マネーを持っている奴が他者を好き勝手操って、その快感に酔いしれる。
メランコリック現代 - 元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々
憂鬱な時代。。。
終わりに
もしかしたら、「支離滅裂な記事」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、結局のところ、ちょっとした社会問題でも掘り下げてみると色んな問題が複雑に絡み合っていたりして、案外深いんですよね。
今回の入れ墨ホルダー入浴拒否問題に関しても、「他人を見た目で判断してはいけないから全ての施設で入浴を認めましょう!」という簡単な話には収まらないわけです。上で書いた通り、日本における歴史的な背景もありますし、インテリ層の中に特にこれに抵抗感を持つ人が多いのも事実だと思います。ですから、うまいこと住み分けを計ってお互いが少しでも気分良く過ごせる道を模索するしかないのかなと。
あとは今回こういう記事を書いていて思うわけですが、本当に何かものを言うのが難しい時代になりましたね。当サイトのようなただの個人ブログであっても、気をつけて書かないとすぐに匿名で叩かれますから。入浴施設のオーナーさんたちは頭を抱えていることでしょうね。どっち側についても文句を言われる可能性が高いわけで。まあだからこそ、はっきりと方針を宣言してしまう方が賢いのだとは思いますが。
以前、結婚や出産を機に入れ墨を消そうとして大変な苦労をする女性が多いという話を読んだため、台湾の女の子たちに入れ墨が流行っている現状に関しては、個人的には複雑な思いです。服やアクセサリーは容易に捨てたり新調したりできますが、タトゥーはある程度サイズがあると消すのが本当に大変というか、ほぼ不可能だったりしますから。ですから、結婚や出産をしない女性の割合が世界一高い国である台湾に対しては、色々と思うことがあります。色んな角度からリアルを窺い知ることができるのだなと。
何でもかんでも自分で選ばなきゃならない時代なのに、どんな選択をしてもそれは誰かにとってはミステイク。他人なんて気にせず我が道を、、、と言ったところで、どこで何をするにしてもそこにいるのは人、人、人。
P.S. 当記事中で私は1つだけ嘘をつきました。ごめんなさい。