元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

「退屈」という名の呪縛。「夢中になれる何か」を渇望する現代の若者たち。香港のデモを見て台湾人は何を思うのか?

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迷走する現代人。

 

混乱する世界


令和時代が始まってまだそこまで時間は経っていないわけですが、「とんでもない時代」だなんて思っている方は私以外にも多いのではないでしょうか。

 

未来ある子供達を死に追いやる高齢ドライバー、殺傷事件を起こすいわゆる「無敵の人」(失うものがなく自身の生への執着もない人たち)、増加する孤独死(孤立死)、乳幼児保育や高齢者介護関連の諸問題、急速に拡大する様々な社会的格差、、、

 

世界に目をやれば、アメリカで頻発する銃乱射事件、長引く中米貿易戦争、深刻さを増す日韓問題、EU離脱に向け突き進むイギリス、終わらないデモで混乱の続く香港、、、

 

兎にも角にも、荒れた時代だなという印象が個人的には非常に強いです。

 

実は、個人的にも被害が大きいです。トランプ大統領がFRBに利下げ圧力をかけ続け、さらに中国への関税攻撃を継続し続けていることで人民元の対円レートが暴落し、数ヶ月前と比較して、私の月収の日本円換算額は数万円下がりました。実質的には減俸と同じです。私は給与の半分以上を日本で使用しており、生活はあくまで日本円ベースであるためこれは大打撃なのです。

 

もちろん私のようなケースは稀ですが、一般的に言って、「将来への不安」は明らかに強まっているかと思います。社会全体が安定とは逆の方向に動いていて、いつ何が起きても不思議ではないという不安感が常に我々を包んでいるように思えます。

 

香港デモの台湾への影響


上述の通り、現在世界では実に様々な「深刻な問題」が起こっているわけですが、今回のエントリーでは台湾への影響が大きい「香港デモ」の件を取り上げてみたいと思います。

 

「逃亡犯条例」改正案をめぐり依然混乱が続く香港ですが、個人的にはこれまでの流れは正直意外でした。まだ結論を出すには早過ぎるのかもしれませんが、現状、主に若者たちで構成されたデモ隊の勝利と言っても過言ではありませんし、控えめに言ってもかなり有利な状況であると言えます。

 

我々日本人からしたら所詮は「対岸の火事」なのかもしれませんが、この結果が台湾に与えた影響はかなり大きいです。

 

私は先日こんな記事を書きました。

 

taiwanlover.hatenablog.com

 

執筆時、現総統の蔡英文氏の支持率は極端に低くまともな政権運営が困難とも言える水準でしたから、これでもう台湾の大局的な進路は決まっただろうと私は思い込んでいたのですが、あれから状況がだいぶ大きく変わりました。香港デモの影響で、反中派である蔡英文氏及び彼女が率いる民進党の支持率が急上昇したのです。

 

更には、先日日本でも報道されていましたが、現在民進党の構成員達が台湾の若者達に「もっと政治に関わろう。行動を起こそう。」といったようなメッセージを発信する活動を進めていて、それに同調する若者達が日々増えているようです。もちろん、現状デモをやろうにも目立った敵がいませんから何も起きないわけですが、今後何かきっかけがあれば、台湾でも大規模なデモが起きる可能性は十分あるかと思われます。

 

要は、香港のデモ隊が「頑張れば案外どうにかなる」、「案外みんな徹底的に戦える体力がある」ということを教えてくれたわけです。このことの影響は計り知れません。

 

現在でも香港のデモは続いていますから一体どこで終わりを迎えるのかはわかりませんが、このまま形勢が変わらずデモ隊勝利の形で決着がつけば、この度のデモが少なくとも短中期的には中台問題の行方を左右することになるかもしれません。

 

若者達のリアル


今回の香港デモの件について色んな人達と話をしたのですが、日本、台湾、香港の若者たちに共通する一つの要素があることに気付きました。

 

それは、「退屈」と「夢中になれるものの渇望」です。

 

多くの人は年をとると「平穏」を望むようになるわけですが、若い頃は誰しも多少の「冒険」や「困難」を望む心があるものです。無風地帯での満ち足りた生活がベストな気がするわけですが、若者たちや心が若い連中、アグレッシブな連中というのはそういった毎日では満足できず、退屈に感じてしまうものなのです。

 

現在の若者たちはエンターテイメントの海にジャブジャブ浸かりながら生きています。将来のお金の心配をするにはまだ早いわけですが、とにかくエンターテイメントなら浴びるほどあるのです。例えば、スマートフォン一つで瞬時に世界と繋がり各種コンテンツをほぼ無料で堪能することができますし、格安航空会社や安宿を利用すれば世界中どこにでも安価で気軽に旅ができます。

 

また、現代の若者たちは基本的に「外圧」や「社会的圧力」に晒されることがありません。家族だろうと友人だろうと同僚や部下だろうと、何か言えばすぐ「ハラスメント」認定され批判される世の中ですから、誰も何も言わなくなりました。私が生きた昭和時代とは大きく異なり、現代の若者たちには「自由」があるのです。

 

しかしながら、「自分の生き方を自分で完全に決められる世の中」においては、逆に「迷子」もたくさん発生します。人生の方向性が決まらず、ただ漫然と生きてしまう人も多いのです。そういった生き方をしている人には魅力がありませんから、誰かから強く求められるということもなく、自由で娯楽に溢れた環境にいるにも関わらず満たされない心を引きずって生きることになってしまうわけです。そういった、「夢中になれる何か」、「本気になれる何か」を渇望している若者というのは特に現代の先進国には非常に多いのだと私は勝手に思っています。

 

要は、人間というのは誰かから必要とされたいというかなり強い欲求があるのです。つまり、自己の存在確認というか、「死ねない理由」みたいなものを我々は常に求める傾向があるのだと思います。

 

例えば、私は現在中国の北京で暮らしているわけですが、やはり異国の地での生活ということで不自由も多いです。日本食が恋しくなることも多いですし、孤独に苦しむこともあります。ただ、私自身がわざわざ海の向こうに手を伸ばしてまで欲しい人材であったという事実は私の自尊心をいつだって優しく撫でてくれます。「必要とされる」ということはものすごく気持ち良いことなのです。

 

選挙期間中、政治家はいつだって「あなたの力が必要です」なんて言いますが、あくまであなたの票が必要なだけで、当人にあなたの顔は見えていません。しかし、例えばデモは違います。「力を貸してください。特定の時間に特定の場所に来てください。一緒に手を取り合って共に戦いましょう!」とくるわけです。あなた個人に対するリスペクトの重さが極端に違うわけです。

 

アメリカのトランプ大統領のやり方を見ていればよくわかるわけですが、皮肉なもので、人間という生き物は時に「敵」を必要とするのです。特定の敵を前にして、一致団結し、傷を負いながら戦う、そして最後にはボロボロになりながらも勝利を手にする、そんなストーリーを本気で求めてしまうのです。

 

SNSを使えば一個人でも大衆に向けて「発言」ができる時代です。しかしながら、実際にはごく普通の個人が情報発信をしたところで情報の海に音もなく沈むだけ。極々一部のインフルエンサーの発信する情報を残りの99.9%が受け取り拡散する、ただそれだけの構造なのです。結局のところ凡人は凡人、主役にはなれない。

 

そういった意味では、デモというのは凡人が主役になれる極めて稀な例なのかもしれません。

 

デモに限らずとも、現代の若者たちというのは「事件」を渇望しているように思えてなりません。不謹慎だと批判されるのを承知で書きますが、先日の京都アニメーション放火事件関連の報道やネット上での議論を見ているとそう思えてならないのです。真に心を痛めている人が山ほどいる一方、何と言うか、大変なことが起こったという現実にある種の興奮を覚えている人が決して少なくないように思えるのです。9.11の時にも、東日本大震災の時にも同様の経験をしました。直接的であれ間接的であれ、「非日常」を求める強い喉の渇きを感じている現代人の姿を見る度に、私は本当に何とも言えない気分になります。極端な話、人類というのはこの感情でもっていつか絶滅するのではないかとすら思えます。

 

終わりに


以上が今回書きたかったというか、読者の皆さんに伝えたかったことなので今回は政治の話は一切しませんが、兎にも角にも人間というのは本当に難しい生き物だなと思います。

 

多分、最もわかりやすい例は恋愛だと思います。

 

「簡単に手に入るとちょっとつまらない」、「徹底的に尽くしてくれるのに何か不満」、「もっといい人がいるってことはわかっているのに別れられない」、、、

 

こういう感情、あなたは理解できますか?

 

一つだけ昔話をしましょうか。
私には昔、数年付き合って結婚もうっすらとは考えていた彼女がいました。「隠し事は絶対にしない」というのが二人のルールだったのですが、ある日、彼女のアパートで一つの封筒が目に入り、こっそり見てしまいました。

 

内容から、彼女は正社員として働いていた職場をだいぶ前に退職していたということを知りました。あまりのショックで気が動転する中、彼女に問い質すと、何でも、数ヶ月前に鬱っぽくなってしまい職場に行けなくなってしまった、私に相談すべきか悩んだけれど、私がもし知ったら振られてしまうかもしれないと不安になって言えなかった、とのこと。

 

更には、数ヶ月間無職だったため銀行口座の残高はほんの少し、クレジットカードのリボ払いの残債が100万円近くあることがわかりました。

 

さて、あなたが彼氏だったらどうしますか?

 

即刻別れるという人も多いことでしょう。

 

私は、あの日感じた非常に奇妙な感覚を今でもはっきりと覚えています。

 

さすがにキレて彼女には怒鳴ってしまいましたが、ごめんね、ごめんね、と言って泣き崩れる彼女を、気付いた時には抱きしめていました。その時に感じた奇妙な高揚感は本当に特異なもので、すごく怒っていたのに、それと同時に何か変な気分にもなって、、、

 

結局リボ払いの残債は私が全て支払い、しばらくは生活費も出して、次の仕事を探すのも手伝って、その結果私の銀行口座はすっからかんになりました。

 

とまあ、これはちょっとした例でしかないわけですが、我々は良くも悪くも、心が動く瞬間、非日常の一瞬を常に求めているのかもしれません。仮にそれがネガティブなものであったとしても、、、

 

東京、台北、香港なんかにいる若者たちを見ていると、みんな本当にお洒落でシュッとしています。電子デバイスを自由自在に操って、外国語ができる人も多くて理知的で本当にクールだと思います。でも、足りないワンピースが私には見えるんですよね。

 

それは「熱っぽさ」。

 

人間というのは愚かな生き物で、無意識のうちに刺激を求めてしまう。平和は理想であるはずなのに、なぜか「敵」の襲来を期待してしまう。トラブル、ピンチ、そういうのはないのが理想なはずなのに、自分が否応なしに「物語」の登場人物になることを望んでしまう。

 

最後の最後に、最も重要なことを。

 

言うまでもなく、リアルは時に極めて残酷。
基本的には、映画やドラマを観て疑似体験で満足しておく方が良いです。
リアルでは、刺激を求めて彷徨った結果、たった一歩踏み外しただけで簡単に死にます。

 

香港のデモは現在ゼネストにまで拡大し、既に公共インフラに大きな影響が出ています。暴力沙汰も垣間見えるようになってきましたし、もし仮に現地の警察官が死傷するようなことになった際には、もはや人民解放軍が出てきても文句は言えません。「熱」を感じているのは現地の若者たちばかりではないのです。

 

お金にだらしない恋人なんていうのも現実的にはかなり危険です。そういうことを一度やるような人は絶対に繰り返しますから。甘えて許してもらうという成功体験があると、繰り返すことに対する躊躇いが薄くなるのです。

 

台湾の若者たちに焚き付けようとしている民進党の連中は果たして正義の味方でしょうか? 自らの利益のためにピュアな若者達を利用しようとしている、なんてことは本当にないのでしょうか?

 

色々見てきたインターナショナル浮浪者として言いたいわけですが、大人が嗜むゲームというのはもっとはるかに巧妙で、ある意味イカサマがデフォルトです。自らの利益のためなら平気で他者を犠牲にしますし、まるで息を吐くかのように嘘をつく人がたくさんいます。

 

現代人はとことん自由ですが、その結果得するのはずる賢く二枚舌な大人たちばかり、、、なんて思い込んでいる私は少し考え過ぎでしょうか?