元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

中国生活は3年目に突入。改めて考えてみる「海外で暮らすことの意義」。

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ふと気付けば、中国本土に移ってきてから2年が過ぎていました。

 

中国生活は3年目へ


最近つくづく思うのですが、人生なんて短いものですよね。


1年なんてあっという間。どんどん年ばかりとってしまいます。


台湾から中国本土に移って2年が過ぎ、3年目に突入しました。まだ台湾にいた期間の半分にも満たないものの、それでも2年もいると本当に色んなことを経験しますし、ある意味自分にとって第二第三の「故郷」にもなるわけです。


私にとって、メインの故郷は東京、第二の故郷は台北、第三は今いる北京。


日本人にとって中国が不人気なのはもちろんよくわかっています。皆さんよりもその辺りに関しては多分だいぶ詳しいです。ただまあ、そうは言っても、2年も暮らせば当然愛着も湧くわけで、自分を生かしてくれているこの環境に対して、私は純粋に感謝しています。


しかしながら、2年も住むと良くも悪くも慣れてしまって、やはり生活はマンネリ化します。そろそろ新しい刺激が欲しいなと、まあそんな思いもあるのです。


日本人の伝統的な生活スタイルというのは、やはり20代後半か30代前半くらいの頃に家庭を築き、家を買って定年まで淡々と働くといった感じなのでしょうが、そんな日本人の中にも、実際のところ私のような変わり者が存在します。私からしたら、同じ場所に5年も10年も住むなどというのはちょっと想像が難しいです。どうにもこうにも刺激がないと、何と言うか、自分がドロドロっと溶けてしまいそうな気がします。こういうのを恐らくは「放浪癖」と呼ぶのでしょう。もっとも、私の場合はそれがインターナショナルだから厄介なわけですが。


ということで、最近色々と考えているところなのですが、やはり節目節目で軽く立ち止まって過ごした時間を振り返ることには意味があるかと思いますので、今回は未来の自分のためにちょっとしたメモを残しておきたいなと。

 

何を得たのか?


まずこの2年間の中国生活で「得たもの」ですが、端的に言えば「中立性」だと思います。


香港ではまだデモが続いているわけですが、一生懸命デモをやっている香港の若者たちは中国本土における実生活については何も知らないわけです。社会主義のポリシーの下で営まれている一般平民の日常に関する知識が全くないのです。


香港デモに触発され、台湾でも中国共産党に対する民衆の反発心が非常に強まっています。Facebookを見てみれば、台湾人の反中ヘイトポストで溢れています。ただやはり、そういった人たちには中国本土で暮らした経験はありませんから、北京にいる中国人たちの日常生活に関する知識は皆無なのです。


しかしながら、私にはその知識があるのです。台北で数年暮らし、北京でも2年暮らしましたから。


実際にその地に住み、その国の通貨で給料をもらい、その土地のものを食べ、現地人と友達になって、場合によっては恋愛もして、笑ったり泣いたりして、そうやってようやくその国なり地域なりを理解できるのです。経験なしに真の知識は得られません。人間というのはそんな単純な存在ではないのです。


私は台湾のことも台湾人のことも大好きです。冗談抜きに愛しています。


でも、中国本土のことも本土にいる中国人のことも今は同じレベルで好きです。


年単位で住んだら嫌いになどなれるはずがない。食事が口に合うかどうかとか、給料がいいかどうかとか、そういう次元の話ではないのです。そんなことはどうでもよくて、兎にも角にも現地人と絡まったらもう嫌いにはなれない。日々のおしゃべりの中で、自分の発言で相手が笑顔になったり、時に感謝されたりもする。もちろん逆もまた然り。そこにあるのはただの人間模様。そこにヘイトなど投げようとなぜ思えるのか? つまりはそういうこと。


ですから、私は台湾や香港の連中の反中ヘイトスピーチに協力することは一生ありませんし、中国共産党の支持をすることも一生ありません。


たまに一時帰国をすると、「だいぶ染まっちゃったんじゃないの?」なんて親に言われたりもするのですが、「染まった」のは事実だと思います。ただ、「上書きされた」わけではないのです。私は東京の色も台北の色も北京の色も全て持っています。かっこつけて言うなら、私は虹色。どの色のことも理解しているつもりです。アメリカを筆頭とするいわゆる自由主義陣営の考え方は理解していますし、中国共産党の理念に関しても理解しています。


一つ弊害があるとしたら、虹色であるが故に、現在では「何も言えなくなってしまった」ということです。あっちを立てるとこっちが立たない、、、みたいな状況が非常に多く、何かを主張するということが極めて難しくなってしまったのです。


そんなわけで、「中立性」を獲得したと同時に、そもそも「ニュートラルであるとはどういうことなのか?」という問いに対する答えも得たような気がします。

 

失ったもの


それでは次に、この2年間の中国生活で失ったものについても書いておきたいと思います。


パッと思いつくのはやはり「時間」や「機会」です。


何を言っているのかというと、、、私は日本人ですから、本来ならこの2年間だってもちろん日本で暮らしていたはずなのです。東京での生活、ぶっちゃけものすごく楽しいですよね。美味しいお店が山ほどあるし、遊べる場所もものすごく多い。本来ならそういった環境で人生を謳歌していたはずなのに、あえて私は言うなれば「家出」をしてしまったわけです。それも2年間という長い間。


もちろん、これを「失った」と形容するのはあまり正確でないとは思いますが、兎にも角にも我々には「複数の生き方を試す」ということはできないわけで、「もし東京にいたらどんな2年間だったのだろうか?」なんていう答えのない問いがたまに頭にふと浮かんだりするのもまた事実です。


現実的な話をすれば、この辺というのは「人生設計」に大きく影響しますからね。


「◯◯歳くらいで結婚して、◯人子供を作って、、、」なんてビジョンのある方は、やはりよく検討する必要があるかと思います。ジャーニーには時間が必要ですから。


私は日本を飛び出す時点ではそういったことは考えませんでしたが、それは単に私が思慮の浅い人間であったというだけの話ですから、まあ普通は考えるべきかと思います(笑)

 

海外で暮らすことの意義


最後に、これは自分へのメモではなく、読者の皆様への私からのメッセージです。


ぶっちゃけ、海外で暮らすことにさほど意義やメリットなんてないと思います。


「異文化に触れて寛容な心を、、、」なんて言う人がいますが、結局のところ、選んだ国や地域の色に染まるだけですから。


例えば、台湾にだけ住めば、「中国は敵」みたいな感覚になる可能性が高いです。中国嫌いな人は実際のところ多いわけですから。逆に、中国本土にだけ住んだら、「台湾は中国の一部」だと思えてくるかもしれません。私は「China and Taiwan」という表現をして怒られたことがありますから。ちなみに、アメリカにだけ住んだ私の身内は「そもそもアジアには国を問わず自由が存在しない」なんてよく言っています。


昔は私も日本の友人知人に海外移住を勧めることが多かったのですが、最近ではあまりそういうことは言わないようになりました。「どこに行ったってそこには人間がいるだけ。何の違いもない。」なんて言うことが多いです。


強いて言うなら、やはり「刺激」ですね。変わったものに触れることで得られる刺激、本当にそれだけです。国が違えば飲食物はもちろんのこと、日用品にも多少は違いが見られますし、女の子の口説き方だって変わるわけです。そういうのに触れる瞬間というのはやはりなかなか面白いかなとは思います。


ただでも、それも1年くらい経つと慣れてしまいますから、気付けばその「刺激」は消失しています。


まああとは、やはり日本というのは非常に住みやすい国ですからね。日本人があえて海外に出て行く必要なんていうのは特にないような気がします。


海の向こうで色々見てきましたから、現在の私は、多分皆さんよりも人間としての器は大きいと思います。ちょっとやそっとの事では動じませんし、少数派の意見を受け入れる寛容さも持っていると思います。ただでも、それが何?(so what?)って話なんですよね。ただの自己満足でしかないのかなと。


ということで、まあ兎にも角にも、今の私はそんなことを考えています。