元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

なぜ日本には「自由」がないのか? 台湾と中国で暮らし、帰国して思うこと。

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海外で長く暮らして、帰国して、見えてきた日本。

 

日本のサラリーマン


海外生活を終えて東京に戻ってきたわけですが、「東京ってこんな街だったっけ?」なんて思うことが最近多いです。

 

皆さんは、「40代の男性」にどんなイメージを持っていますか?

 

もちろん人にも依るとは思いますが、「スーツ姿のオジサン」が頭に浮かんだ方は多いのではないでしょうか?

 

私も昔はそんなイメージを持っていたような気がします。最も身近な例である私の父親は、大学を出てから定年を迎えるまで毎日スーツ姿で通勤する典型的なサラリーマンでしたから。

 

私のそのイメージは、台湾及び中国で暮らしたことでだいぶ大きく変化しました。

当ブログのタイトルからもわかる通り、私はいわゆる「サラリーマン」です。履歴書の資格欄に運転免許しか書けることがないようなどこにでもいるごく普通の会社員です。

 

ただ、多くの日本人サラリーマンとは異なり、「スーツ」というものをあまり着たことがないのです。台湾の会社でも中国の会社でも、服装規定など存在しなかったからです。

 

この話は台湾在住時、同僚ともよくしたのですが、「オフィスで働くのに必要?」というのがみんなの反応でした。

 

しかしながら、日本社会では徹底していますよね。猫も杓子もスーツ姿。最近インターネットの世界では、パンプスを履くことを強要されている女性たちがそれに反対する「#KuToo」運動なるものが話題になっていますが、個人的には、そんなのは論外としてスーツ着用強要に対する運動は起きないの?と疑問に思いました。

 

私は肩凝りが酷いせいか、あれを着るのが結構しんどいです。また、ネクタイも大嫌いです。なぜ自分で自分の首を締めなければならないのでしょうか? 鞄もスーツを着てしまうとあまりにもミスマッチなのでバックパックというわけにもいきませんしね。先日、肩凝りや腰痛について整形外科で相談したところ、片方の手で重いカバンを持つのは良くないから質の良いバックパックにするようにと勧められましたが、スーツ姿だとさすがに厳しいですよね。

 

でも、ネットで情報を漁ってみると、このスーツ着用強要に関して疑問を持っている男性が少ないどころか、良いことだと考えている人も非常に多いようです。特に、「気が引き締まる」なんて言っている方が多くて驚きました。そりゃ首を絞めているわけですから確かに締まってはいるでしょうが、日本人は私服では仕事に集中できないのでしょうか?

 

こんなのは小さな話なのかもしれませんが、日本社会では「◯◯はこうあるべき!」といったような「見えないルール」がすごく多いですね。

 

最近では私服での勤務を認めている会社も少しずつ増えてきているのはもちろん知っています。会社に所属しないフリーランスという働き方も徐々に広がってきました。ただ、やはり「40代男性」はまだまだガチガチに旧来の慣習に縛られている気がします。40代にもなって平日の日中にスーツを着ていなかったら変、そんな空気があると言わざるを得ません。

 

スーツの話から離れても、会社の飲み会があると例えば、女性社員が積極的に料理を取り分けようとしてくれたり、ビールを注いでくれたりなど、なんだかなと思うのです。他者に気を遣ってばかりいないで自分の目の前の料理を食べることに集中すればいいじゃないか、とつい思ってしまうのです。

 

男性の皆さん、女性にサラダを取り分けてもらって嬉しいですか?

 

私は本来ならエンターテイメントであるはずの食事の場で他者に気を遣われると疲れてしまいますし、台湾で長く暮らした者としては、むしろ自分が女性に取り分けてあげたいと思ってしまいます。もちろん、そんなことをすれば日本の女性はバツが悪そうにしますからそれもしませんが。

 

ちなみに、台湾で徹底されている「レディーファースト」というのは、男からしたら悪いものではないんですよ。女性に何かしてあげるのって結構気持ち良いことなので。ただ、日本社会で「ジェントルマンファースト」を強要されている女性たちは多分そうは思っていないのではないでしょうか。なぜなら、日本の男たちは皆「やってもらって当たり前」といった感じですから。

 

国ごとに文化というものがありますから、こういういかにも外国かぶれな意見をこうやって大っぴらに述べるのも如何なものかという気持ちもあります。ただ、やっぱり日本社会には「無駄」というか、「無意味な縛り(性別依存性付き)」が多いような気がしてなりません。

 

オフィスに籠もって書類作成や電話対応、コーディングなんかをするだけの仕事であれば、服装や髪型なんてどうでもいい気がします。残っている人がいるからといって定時退社を躊躇うのも馬鹿げています。無能な社員は早い段階で警告を与え、改善が見られなければ躊躇いなくクビにするべきでしょう。台湾でも中国でも、パフォーマンスが悪い社員は簡単に切られます。会社というのは慈善団体でも社会福祉施設でもないのです。訳のわからない縛りを課すことに熱心で、一度雇った者は家族のように徹底的に面倒を見る、日本の会社には非常に特異な面があると思います。

 

「自由」がない国、日本


よく日本人は「中国には自由がない」と言いますが、果たして本当でしょうか?

 

私は逆だと思います。自由がないのは日本です。

 

上述の通り、日本では「こうあるべき」という社会全体からのプレッシャーが強過ぎて、例えば私にはもう人生において何の選択肢もありません。

 

私の中華系の友人の中には、「今は何もしていない」という人が何人かいます。海外では、「何年か働いてお金を貯めたら退職、半年〜1年くらい休み、新しい会社で仕事再開」というのは決して珍しいワーキングスタイルではないのです。欧米諸国なんかでも、現地のバーで飲んでいて、何かのきっかけで近くの席の人と会話が始まり職業を聞くと「今は人生を楽しむ時間なんだ」なんて返事が返ってくることがあります。

 

なぜそんなことが可能かと言うと、「人材の流動性が高い」からです。要は、退職しても働く場所を見つけるのが困難ではないからなのです。

 

一方、日本の社会は非常に特異で、新卒で入った会社で数十年間働くのが今でもまだまだ主流です。転職する人も少しずつ増えてはきましたが、それはあくまでキャリアアップのためであり、上述のようなワーキング「スタイル」とはまた異なるものであるケースが多いです。

 

また、職業選択に関する考え方もかなり特殊だと思います。多くの国では「スキル」に重きが置かれ、手に職をつけようと考える若者が多いわけですが、日本人の多くはなぜか「会社員」になりたがります。結果、「自分にしかできない仕事」をしている人の割合が相対的に低いのではないかなと私は勝手に想像しています。しかしながら、大多数は会社員ですから、自らの地位を守るために「終身雇用」を守らなければ!となるわけです。

 

ですから、日本では今後も人材の流動性は高まらないのではないでしょうか。多数派の意識を変えるというのは基本的に難しいことですし、40歳や50歳のオジサンオバサンがこれから勉強して国家資格を取得したりプログラミングのスキルを身につけるのも大変でしょうから。

 

日本には「社畜」という表現がありますが、これにはたとえペットになってでも「安心」や「安全」を手に入れたいと考える日本人の気質が非常によく表れているなと思います。

 

「ワークライフバランス」がどうのこうのと話題になる時代にはなりましたが、現在議論されているのは「うまくバランスをとって何とかやっていく」といったようなレベルの話であって、半年や1年といったような長さの「自由時間」を楽しめるのは今後も極々一部の人に留まるのではないでしょうか。もっとも、日本人の場合、「300万円と半年の自由時間をあげる」と言われても、何して良いか分からず逆にストレスが溜まるなんていう人も多そうですが。

 

ちなみに私は、「自由」が欲しくて仕方ありません。やりたいことが山のようにありますから。ですから若い頃に国家資格やスキルを身につけなかったことを非常に後悔しています。親戚の子供達によく「英語とプログラミングだけは頑張って勉強しておいて損はない」なんて言っているのもそういった理由からです。

 

私はもう現世の人生は諦めていますが、来世でもしまた日本人として生まれるのであれば、会社員にならずに済むために最大限の努力をしたいと思っています。

 

なぜ私は帰国したのか?


「そんなに台湾や中国が好きなのになぜ帰国したの?」なんて思われた方もいるでしょうから、今回その理由も書いておこうと思います。

 

人間関係や政治観のミスマッチ等実は色々と理由があるのですが、主要なものを挙げると、「不潔なトイレに耐えられなかったから」、そして「中国語能力の習得が困難であったから」です。

 

トイレ事情に関しては、北京よりも台北の方が若干マシですから台北と東京を比較することにしますが、まだまだ非常に大きな差があります。

 

台北で何年も暮らしましたが、潔癖性の私は基本的には家と職場以外では個室が使えませんでした。とは言え、お腹を壊してしまい、駅や空港のトイレを使わざるを得なかったことも何回もあります。それがもう嫌で嫌で仕方なかったのです。そして、最終的にこう思いました。「自分は我慢できたとしても大切な人にこんな汚いトイレを使わせるわけにはいかない」と。

 

特に日本の都市部で育った人の中には、私のような方はある程度いるのではないでしょうか。ちなみに、中華圏批判だと受け取られても困るので一応書いておきますが、日本人女性が大好きなパリのトイレなんかも日本人的にはちょっとびっくりするくらい汚いですよね。こういう話は皆あまり表立ってはしないわけですが、「トイレが心配で海外には行かない」という日本人は決して少なくないと私は確信しています。

 

次に中国語に関してですが、10年も20年も住むつもりなら当然マスターする必要があります。ただ、私は完全に挫折してしまいました。私は昔から勉強が苦手でして、当ブログの記事をお読みいただけば分かる通り、日本語の能力も非常に低いです。そんな私にとって外国語の習得はハードルが高過ぎました。

 

「住めば自ずと言語は習得できる」なんて言う方は少なくないですし、「なぜ中国語ができないんですか?」なんてブログの読者さんから質問されることも何度もありました。要はですね、賢い人には頭の悪い人のことは理解できないということなのだと思います。

 

とまあそんなわけで、外国で死ぬまで暮らすという選択肢は私にはありませんでした。「家庭を持ちたかったから」というのもあるのですが、自分の年齢や経済力、ルックス等の「スペック」では厳しいことくらいは理解していましたしね。

 

あとがき


北京にいた頃は、「日本に帰りたい」と毎日のようにSNSに投稿していましたが、帰国したら帰国したで、何だか心の中のモヤモヤが晴れません。

 

日本の人たちは「ゴールデンウィーク10連休!!!」なんて言っていて楽しそうですが、底辺サラリーマンの私にはそんなものはありません。自分の首には輪っかが付いていて、鎖で会社と常に繋がっているのです。

 

台北の会社でも北京の会社でもフレックスタイム制が導入されていて、労働時間は長かったもののそれなりに自由な部分もありました。職場では細かいことを言う人もいませんでしたから、お菓子をつまみつつコーヒーを啜り、大好きな音楽をイヤフォンで聴きながら日々仕事に励んでいました。「結果が全て」という会社のポリシーが私には非常に合っていたのです。

 

おそらくこれを読んで頭の中が「???」となった人も多いのではないでしょうか。音楽を聴きながら仕事をすることが許される職場は日本にはそうそうないでしょうからね。

 

なので日本に帰ってきてはしまいましたが、私は中華圏の会社にはかなり良い印象を持っています。過去記事でも書きましたが、有給が取りづらいとか、有給の申請で緊張するなんていうことも一切ありませんしね。みんな自ら「今度休みとって日本に遊びに行くんだ〜!」なんて普通に自慢していましたから。日本に憧れて留学し、そのまま就職したら職場のギスギスした雰囲気に耐えられなくなって帰国した、なんていう台湾人を知っていますが、そりゃそうだろうなと。

 

「もうちょっと賢くなろうよ。」

 

今私が日本の人たちに一番言いたいのはこれです。みんなビシッとスーツ着て、ピカピカに磨いた靴履いて、ブスッとした顔でやっていることは、スウェット姿の中国人がヘッドフォンでガンガン音楽流しながらこなしている仕事と同じです。

 

技術大国日本の姿も今は昔。残ったのは無駄なルールや無駄な気遣いだけ。

 

日本には自由がないというか、自由を抑制することが美学とされてしまっている節があるなと。とりあえず我々中堅は、そういう部分を後世に残さないように十分注意すべきでしょうね。もっとも、最近の若者たちは良い意味で冷めていますから、彼ら彼女らなら何も言わずとも合理化の進んだ新しい日本社会を作ってくれることでしょう。我々がすべきは、「邪魔をしないこと」、「古い慣習を押し付けないこと」なのではないでしょうか。