元台湾在住サラリーマンの徒然なる日々

かつて台湾に数年間住んでいた日本人サラリーマンが綴る雑食系台湾ブログ。ご連絡はTwitter(https://twitter.com/superflyer2015)経由でお願いします。

心優しきイディオット

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先ほど核兵器廃絶に向けた活動をしている中高生の紹介記事を読んでいて、また例年のようにモヤモヤとした気分になった。

 

夏の風物詩


例年この時期になると各種メディアはそういった連中を積極的に取り上げるし、それは政権批判にも最適なネタとなる。そんなことはわかっている。


当の本人たちは単に教養がないだけで、善意で行動しているのももちろんわかる。彼ら彼女らの行動が如何に馬鹿げたものとして私の目に映ろうと、連中にとってはそれは正義に基づいた行動であり、歩みを進める方向がそもそも正しいのかどうかなど疑う余地もないのだろう。


純粋無垢な若者の行動を目にする度に日本の義務教育の未熟さ、そして稚拙さを感じるが、そもそも教育現場にいる大人たちには十分な理解があるのかと言えば、、、甚だ疑問だ。


現在日本は核兵器を持ってはいないが、それは単にアメリカ合衆国という超大国の核の傘に守られているが故にあえて自ら保有する必要はないというだけの話であり、国内に米軍基地があることからも分かる通り、ある意味間接的には保有しているようなものとも言える。


最大の脅威はもちろん中国、そしてロシア。これは「民主主義(自由主義)」と「社会主義」の戦いであり、戦争は今でも続いているとさえ言える。双方が核兵器を保有することで抑止力が働き、軍事衝突が起きにくい状況が形成されている。言わば天秤がある程度のレベルで釣り合っているというだけの話なのだ。


そんな状況下で核兵器廃絶の可能性というのはそもそも存在するのだろうか?


もっと言えば、仮に核兵器廃絶が実現可能だとして、そのことに一体どれだけの意味があるのだろうか?

 

平和とは?


皆が武器を捨てることができる世の中が訪れたらそれは最高だ。しかしそんなものは夢のまた夢であり、そういった幻影とのお遊びにかまけ、少しでも多くの人を救うための現実的な努力を怠る怠惰な子供達を見ていると非常に腹が立ってくる。


日本国内に目をやれば、さてどうだ、武器など持たずともいとも簡単に人が殺せてしまう。


昨年日本では約2万人が自殺した。これには若者も多く含まれ、SNS上での誹謗中傷を含めたいじめによるものも多い。


そして今年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への各種対策の影響により、自殺者数は数万人増えるだろうと予想している専門家もいる。


これは一例だが、まずはそういった戦闘以外の要因で死んでいく万単位の人民を救う必要がある。義理の父親による乳幼児の虐待死事件、高齢ドライバーによる交通死亡事故、他にも例えば医学に目を向ければまだまだ人間には治せない病気もたくさんある。


人の命を救おうと思ったら、この世界から嘆きを少しでも取り去ろうと思ったら、方法なんていくらでもあるのだ。


核兵器廃絶などと言って10代の貴重な時間を「活動」とやらに費やす暇があったら、一生懸命勉強して医者になって少しでも多くの人の命を救うとか、法律家を経て政治家になり必要な法整備を進めるとか、やり方なんて本当にいくらでもある。


核兵器が無くなろうと、今日も明日も、本来なら死なずに済んだ人たちがたくさん死ぬ。今こうしている間にも、誰かが首を吊り、誰かがビルから飛び降り、小児科病棟では小さな命の炎が消える、、、


アメリカ宇宙軍は現在新しいレーザー兵器を開発中なのだとか。核兵器が無くなろうと、もっと多くの人間を一度に殺せる、もしくはこの星ごと破壊可能な新兵器が誕生するのも時間の問題だろう。


直接的であれ間接的であれ、人は人を殺す生き物だから、人間がこの世界にいる限り嘆きや悲しみは無くならない。真の平和などというのは人間がいない世界のことだと私は確信している。


若者たちには、もっともっともっともっとがむしゃらになってとことん勉強して欲しい。もしかしたら、私がまだ知らない解というか、少しでも状況をマシにする何かいい案が存在するのかもしれないから。